たった一人の人間だけど、それが尊い 2008/12/26

今日が仕事納めの方も結構いらっしゃいまして、かけこみで手相鑑定をする一日になりました。

昨日でしたか男性もいらっしゃるので、「あれ?」と思ったら、教員なんですよね。確かに子供たちは冬休みに入りましたから、手相見にくるんですね。

今、ちょうど鑑定の合間に日記、書いています。20時過ぎから、大須の合点承知ビルの占いをされている方数人で、忘年会です。

「もう、忘年会の季節かぁ~」と季節感がなくなった名古屋の空を見て、つぶやきました。

それにしても今年は世の中もプライベートでも結構いろいろありました。

まさかこんなふうに世の中の景気が傾くとはホロスコープ以外では知り得なかったですし、年始の石油の問題から現在のトヨタ・ショックに至るまで、世界はやっぱりひとつなんだと思わざるを得ません。

プライベートでは、10月に、あっさり独立してしまいましたが、なんだか皆さんに背中を押されているみたいで、おかげさまで毎日、元気に過ごすことが出来ています。有難う!

毎日、多くの皆さんと会って、話して、様々なことを知ります。

数日前に、Coccoの映画「大丈夫であるように」を見て、いろんなことを考えました。沖縄のこと、青森のこと。。。

印象的だったのは、Coccoが青森のファンからの一通の手紙がきっかけで、青森の六ヶ所村の核関連施設に行ったシーンです。

私の故郷も六ヶ所村からそう離れたところではありませんから、自分のことのように思えて、ジーンンときましたね。

私の故郷は十和田湖の近くで、国立公園にもなっていて、観光の街ですから、幸いにして核関連施設を誘致しなくても、生きていくだけの資源があって、それを頼りにみんな暮らしている。

だけど、何か新しいことをしようと思うと、ふるさとを離れないと、なかなか活動できなかったりする一面もあって、私も若いころは自分の進路についてよく悩んだものです。

大学4年生の就職活動のときも自分が何をして良いのか分からずに、悩んで、確か古典を一冊、持ってきて「えいや!」と開いたページに「これ以上、教えることはない」という言葉があって、

「ああ、そうか。本当はいろいろと周囲の人が僕に教えてくれているんだけど、受け取り手の自分が器が小さいばかりに分からないんだな」と悟りました。

それからは、あまり焦らずに、今の自分にベストでありさえすれば、自ずから、進むべき道が出来てくるのではないか・・・と思えるようになったんですね。

長い間のビジネスマン生活から、鑑定漬けの生活に変わったわけですが、人間が変わったわけでもなく、以前と同じような起床時刻で、以前と同じように朝、子供と一緒にお風呂に入って、送り出して事務所に向かう。

平凡であっても日々、新たに起こりうる出来事に夢を見出して、楽しみながら生きていこうと、Coccoの映画を見て、深く思いました。

また、たった一人の歌い手を撮影した監督が、撮影しながらボロボロと泣いてしまったと手記にありまして、監督の気持ちが分かったような気がしました。

たった一人の歌い手、たった一人の人間。

考えてみたら、ちっぽけな存在かもしれない。でも、そのたった一人が多くの人を感動させたり、導いたりすることも出来る。

私もたった一人の人間だけど、私が出来ることは、少しづつでもやり遂げていこうと思いました。

なんだか小学生の反省文みたいですけど、今日はそんな気持ちの一日でした。