高知県生まれの方たちが大集合の一日でした~! 2013/01/13
今日のセッションではなぜか高知県生まれの方たちが大集合の一日でした。
これはいったい何を示しているのでしょうか?
私のセッション(鑑定)は名古屋で行っておりますので割合としましては
愛知・三重・岐阜在住のみなさんが大変多いです。
本日は関東から多くいらっしゃりことごとく「高知県生まれ」で
名古屋在住のお客様も「高知県生まれ」でした。
いわゆるシンクロニシティがまたまた私の周りで起こっているんですが(笑)
これはいったいどうしたことでしょうか?
何の意味があるのでしょうか?
これを考える時に私はいつも浮かんでくる言葉があります。
「人間の人生なんて、意味がないかもしれない」と。
つまり、人生の目的とか、人生の意義みたいに様々書物で語られているテーマが
木っ端みじんになる考え方です。
人間は、ただ生まれて、生きて、そしてただ死んでいく。
実はこれが「事実ベース」じゃないですか。
それに何で「人生の目的」とか「人生の意義」あるいは「生き方」を
人から強要されないといけないのでしょうか?
それと今は戦争の時代ではありませんが、先日たまたまテレビを見ていて
山本五十六の生涯をまとめた番組を見て、「この時代に生まれた人の人生の
意味は一体何なのだろう?」とますます思うわけです。
戦争では特攻隊とか人間魚雷とか、とんでもないことやりましたから。
そう思う一方で、私は個人的に、人間には「天命」つまり「人生のテーマ」が
人それぞれあるように思えるのです。
そして余談ですが、神様とかやっぱりいるんだろうな・・・とか
真剣に思っていますし、生まれ変わりとか、守護霊とかも、きっとあるんだろうな・・・
とか普通に思っています。
一見、人間はただ生きていて、そしてただ死んで行くのですが
何もしないで生きているのではありません。
何をしているかというと「命のバトン」を次世代に渡している、
叡智や技術も次世代に渡している、
あなたのしていることが、何らかの形で世の中に貢献して、目に見えずらいかもしれないけれど
必ず世の中に役に立っているんです。
そう考えると、一見、意味のないようなことが、意味があるように思えるのです。
高知県生まれの方が大集合したことは、私にとっては大変珍しいことです。
それでいろいろと考えてみました。
例えば、高知県の方って手相が好きな人が多いのかな?とか
今日来てくれた最後の方が、会社の社長さんが高知出身なのはどう考える?
とか思考を深めていきます。
今はまだ「これだ!」という自分なりの答えは見つかっていませんが
おそらく近日中にその答えが出てくると思います。
このような考え方、つまり日常の出来事の「受け取り方」を練習していくと
日常のあらゆることに着目するクセが出てきます。
つまり、一瞬、一瞬を丁寧に生きていく下地がで