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私の手相事始め~インタビューに答えて思い出した幼少時代 2008/10/07

1989年に国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任し、当時内戦の続くソマリアやスーダンなどの子どもたちに笑顔を届けたのはオードリー・ヘプバーンです。

 

就任の際の言葉で、私の心にいつも響いているものがあります。

「わたしは、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから」。

手相のお話をしますと、今日のある雑誌の取材で「どうして手相を始められたのですか?」という質問に、思わず、このオードリー・ヘプバーンの言葉が浮かんできて、言葉に詰まってしまいました。

私は長く苦しい肺炎を患ったことがあります。呼吸困難で、酸素が不足して、頭が真っ白になった経験を何度もしています。それは幼い時でしたが、自分の運命の行き先を考えざるを得なかったことがあります。幼少の頃から、人の生き死にというものに関心を寄せて、小学生なのに「輪廻転生」に興味を持ったりと、今振り返っても胸が張り裂けそうなことがありました。

その時に私を救ってくれたのは、実は、手相なんです。確か中学2年の時に、また肺炎になりかけて学校を休んでいた時に、国語担当のS先生が「日本沈没」と「手相占い」の本をわざわざ自宅に届けてくれたんです。今、思い反しても、なぜ「日本沈没」と「手相占い」の2冊だったのか、これまた理解不能ですが、咳をしながらも本に集中することによって、早く時間が経過した気がします。

元気になって、本を先生に返却する時が来ても、どうしても「手相占い」の本は手元を離したくない気がして、結局、同じ本を浅利書店というところに注文して、入手して読みふけったのです。それからが私の手相本の収集の始まりで、これが今に続く、家内泣かせの占い本収集の顛末です。

その当時も物事に凝る性質でしたので、本を見ながら手相についてよく考えたものです。そんなことを一瞬にして思い出したのですが、さすがにインタビューには違う角度で話していました。

そういえば、スタッフのYさんに「まるちゃん先生は、今日は堂々としていましたね~」というものですから、「えっ?!いつも堂々としてるでしょ?」と答えたのですが、どうも私は手相やホロスコープの鑑定をしている時は、どこか違う世界に入っているらしく、いつもの自分とは違った感じのようですね。

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